木の立ち位置





ナイタイ高原牧場で, 丘の上に立っている木を見て思ったことです.




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美瑛は美しい丘陵地帯で有名で, 丘の上に立つ木もまた美しく, ひとつひとつに名前がつけられているくらいだ.
"クリスマスツリーの木", "哲学の木", "セブンスターの木"などなど.
美瑛の景色を撮りに, 北海道内外から大勢写真家が訪れて, 早朝・夕暮れ時に押しかける.
それに負けず劣らず, ナイタイ高原牧場にも美しい丘や木々があった.
でも, それを見るためだけに人々は訪れない.

もし, と考える.
もし, ここにある木々が美瑛の丘にあったら.
カメラマンたちはしつこく撮り続けていただろうか.

同じナイタイ高原 (または美瑛)の木でも, 単独で立っていなかったり, 防風林のように整然と並んでいないと被写体となり難い.
森林の中に樹立していると, 個として際だたない.

もし, と考える.
もし, 密集した木々の中から, ぽつねんと孤立していたのなら.
カメラマンたちはしつこくファインダーを覗き込んでいただろうか.






逆に.
最近, 観光客のマナーが悪くなったがゆえに, 根本にバッテンとうたれた "哲学の木"が別の地域にあったら (老衰で結局伐採されてしまった).
または森林の中のいち樹木として立っていたなら.
土地所有者からそんな仕打ちを受けていただろうか.
(直接手を下したのは土地所有者だけど, 観光客一人ひとりの行動がちょっとずつ気を伐り倒したようなものだと思う.)

木たちは種子となったその時から育つ地域を選べないし, 隣にどんな気が育つかも決められない.
それは木自身の力ではどうしようもない.
それは環境に依るものだから.
木自身に出来るのは, 生長し続けることだけ.






これと同じように, 人間も自分のちからではどうにも出来ないこともあるんだろうなと思ったのだった.
どうにも出来ない事物に対してあがいたり, "自分の力不足だ"と憤り, わめき, 悲しむのはおこがましい.
そう, 十勝平野の広さに自らの小ささを実感しつつ思ったのでした.


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